「エルゴは贅沢品」という旨のツィートが最近炎上していました。
事の発端は、保育園に入れない人々から集めた直訴署名を厚労相に提出したママ達が、みんなエルゴで子どもを抱いていたということ
「『保育園落ちた』の署名を渡したママはブランド品使ってるからプロ市民」に対する反応
それを見た一部の人が
海外ブランドのエルゴという高い商品をみんな使ってる
↓
生活に余裕がある
↓
そこまで生活に困窮していないのに、保育園に入れる必要がないのでは?
と見えしまった・・・らしい。いや、ちょっと考えられないしあまりにもトンデモ理論過ぎなので発言には別の思惑がにおいすらするけど。
目次
子育て世代にとってはエルゴのシェア率はもはや常識だけど
うーん、普通に現在日本で育児している者ならば、よっぽどのことがない限りエルゴのシェア率や使いやすさなんて周知の事実。私もエルゴ360を毎日それは重宝している。
ママ達が集まったらみんなエルゴだった・・・なんて日常生活でごく当たり前の光景だし、何の違和感もない。
しかしその報道を見た抱っこひものシェア率などに詳しくないのであろう人にとっては、ひょっとしたらそんな違和感を感じることもあるのかもしれない。
まあ、そもそも生活に困窮してなきゃ保育園に入っちゃダメという理論がそもそもなんかズレてるし、この件に関しては書いていたら色々長くなったので、別の記事に書きます。
それら感想はひとまず置いておくとして(置きたくないけど)
思ったことはもう一つある。
抱っこひものシェアなんて、確かに現在育児に遠い人は分からないんだろうなあ
エルゴを私が知ったのも、まだ私が独身中で会社の同僚が育休にエルゴで子どもを連れて来てて「これ頑丈で疲れにくくて良いんだー」と教えてもらった時が初めてでした。
普段身近に子育て中の人がいなかったり、街中を意識して子連れの人を観察していなければ、抱っこひもの流行とか分からないのは致し方ない気がします。
例えばの話だけど、おじいちゃんおばあちゃん御用達で実用とデザインを兼ね備えた海外ブランドオシャレ杖があったとしても街で「あ、やけに使ってる人多いな」と思うくらいでしょう。
そんな、自分たちが常識と認識しているようなことが、それら以外の人にとって常識とは言えない、なんてことは育児のみならず他の分野でも多いのではないかとは思います。
そして、狭い価値観に自分自身が気付かず、物事を決めつけるのはあまりにも早計というか。
議論した場合、まるで淡水魚と深海魚が話し合うみたいな論調違いが生じてしまう。と思います。
これとは少し違うが、最近こんなツィートも気になった。
「電車とかで子どもが泣いてるのにあやさない親は死ね」ってよく聞くけど、たまに「これほっといたら寝る時の泣き方なんだ!私は親だから分かるんだ!抱き上げたら悪化するんだ!頼む!許してくれ!あと何分かほっといたらこのまま寝るんだ!!!」っていう時あるからつらい。
— あかみや (@akamiya192) 2016年3月16日
昨今のベビーカー問題とかもそうだけど、もう少し全体的に気持ちの余裕を持てる摩擦のない社会が理想的だと思うんですけどね・・・
子育て世代とその他世代と分けないで社会全体で子育てについて考えよう!
タイトルにしておいてなんだけど、「子育て世代とその他世代」という風に本来あまり分けたくない。
むやみに対立するのではなく、社会全体で子育てに携わっているという意識が必要だと思う。
どの世代だって子育てに何かしらの繋がりがあるはずなのだから。
みんな昔は子どもだった訳だし、子育てに無縁と思っている人だって、将来のあなたの年金を支えるのは一体誰ですか?って話です。
子育てはしていないけど例えば保育園のニュースで興味関心を持つこと、おかしいと思ったらおかしいと発信すること。
そんな小さなアクションだって社会全体で子育てを考えるということだと思います。
勿論、それぞれの環境における感覚のズレというものはこのエルゴの件もあるように必ず生じることでしょう。でもそれより何より無関心であることが一番ダメだと思う。
今は個人の意見を簡単に発信できるツールがあるのだから、仮にびっくりするくらいのギャップがあっても恐れることはない。
その都度いやいや、それは違うよ、と意見すれば良いだけのこと。
もっともっと皆で興味関心を持って子育てをかんがえたていけたらいいねというお話でした。
以上!